一皿38。舌で食べる。

麻布十番街、その路地奥の小綺麗な鮨屋で、いい肴に出会った。

白身とヒカリものが、特に良い。
口に運ぶごとに、目が泳ぎ、目が笑いに満ち、舌が目覚め一瞬止まり、口が緩み、喉奥に落ち、首が頷く。

この頃、口では食べ無くなってきた。
舌に意識がいき、咀嚼する意識が飛び喉に送り込んでいる。少し、口に勢いが無くなったようだ。

若い時代。時間のない無言の昼食、一気に飯を放り込み、腹を膨らしていた。口で、それも大口で食べていた時代が懐かしい。

朝昼夜の三食をしっかり食する大切さを教えられ育った身ながら、今、私は、16時間のプチ断食の食生活を常としている。

朝は食べない私には、早めのお昼が体力の維持と栄養補食。
口で食べる給食となっている。

夜になると、酒かワインに合わせた、舌に意識がいく小さな食となっている。スープなどが食卓に載る時などは、あの硬いバケットの一切れが頭を横切る。

焼魚とか煮魚をテーブルに見付けると、白い米飯を欲しがる時もあるが、夜の食卓には、パンや米飯がない。

歳を重ねるにつれ激変した私の食生活だが、食べることは、栄養摂取するだけでなく、五感を使うもの。

先ず、脳が働き、唾液の分泌を促し、胃腸で消化吸収させる。
そんな全身運動では、口が主役となる食事。

口で食べるランチは、生命維持給食。意識が口に向かい、食卓を一緒にしている相手には、気遣う余裕がない。

一方、舌で食べる夜は会話が弾む。

食を一緒にする事で、人との心との繋がりを得られる。魂にも通ずるたいへん重要なものでもある。

そこで私は、昼は口、夜を舌に変え、食事をしている。
そう考える横で、愛猫がしゃにむに食べている。

猫、犬の食べ方には、確かに、遠慮がない。

“食べる楽しみだけに食べる”。


究極の食事 “満漢全席”がチラッと頭を掠めた。

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