あー!いやになっちゃった。あー!おどろいた。
思わず身をすくめた。
この夕、子供を乗せ、大きな買い物カゴを抱えたお母さんの自転車が、驚くべきスピードで、散歩の帰り道の私の真横をスレスレに走り抜けっていった。
咄嗟に右肩を引き、どうにか難を避けた。
皆さんもこんな危ない思いをしたことが、数度言わず再三、ありぁ、しませんか。最近、自転車の無謀ぶりは目に余る。
時には、歩行者のルールで、また、時には車のルールに則って走り、歩道と車道をと縦横無尽の暴走。さらには斜め横断して、自由奔放に疾走している。
それに、歩道一杯に駐輪。その違反に、ミドリムシからの違反切符が切られる事なく、単に注意書きを貼られて済まされている。
何故、自転車の取り締まりが、これほどまでに寛大で緩いのか。
人が歩くスピードは、せいぜい時速5、6km。電動車椅子でも5、6km。老人となると、さらにゆっくりである。
そこを、坂道に至っては20km以上のスピードでの疾走である
歩行者を、さらなる災難が襲う。
電動自転車、スーパースポーツバイク、電動キックスケーター(ボード)が、歩道を走り出した。
各自が、歩道、車道、専用レーンを、その場その場で判断して疾走する。
それらを操る若者は、歩道ではユックリ走行していると言うが、歩行者が安心できるスピードではない。
我ら老人たちは、疾走する様々な乗り物の合間を縫って、歩くしかない。
そう言えば、歩きが原則であったゴルフ場にも、レールが轢かれたカートが走り出した。
カート前は歩くことが危ないと、カートを味方するキャディに注意され、走ってカート道を横切る始末。
我ら老人は、耳も老い体のどこかガタがきている。
それにつれ、知覚、判断、認知の身体運動神経が怪しくなる。
それに、歩くときは下を向いているようで、視野も狭くなっている。
足を車に換えた若者たちの心遣いが欠けると、我ら老人の日常の道が、とんでもなく危険なものになってしまう。
あれこれと、機会を見ては文句を言い反撃したくなるが、今の若ものは、自分たちとは異なる倫理基準に従っている。
身の程をわきまえないと、弁もたち力もある若者と、子育て気が立っている若き母親相手では、ぎゃふんとさせられる。
“そうですね。ごめんなさい”と、さっさと白旗を掲げ引き下がったほうが安全である。
老いたる者に残された安全な道は獣道だけとなる。
獣たちと友となり、光の届かない裏道をとぼとぼと歩くしか、ないのである。
だが、とりわけ騒ぐことでもないのである。
どこ吹く風と構え、鷹揚に、感情を抑え、待てば良いのである。
そうこうしているうちに、老人にも気遣う優しい自動運転の自動車が走り出し、さらには空に飛び出す。
寿命が尽きるのが早いかもしれないが、メクラジ立てずに待てばよいのである。
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