神は、遍在している。
近くにいれば、神なのか。遠くにいれば、神ではないのか。
人が隠れた所に身を隠したら、わたしは彼を見ることができないのか。天にも地にも、神は満ちている。(エレミヤ書)
日本にも、神は、むろん、遍在している。
出雲の地に、全国の八百万の神が、毎年旧暦10月神無月に集まる。その月には、出雲以外では神は不在となる。
だが、通常月では、先ず、八百万の内八万の神が、それぞれ所属の神社(全国の神社数 約八万)に身を寄せ、後の792万の神は、各地で静かに遍在していることになる。
神の多くは、家庭の神棚に鎮座する。
家庭の神棚には、各神社から求めた札を飾るが、神社を持たない神々は、そっと、その家庭を守っているのである。
そうして、残る神々は、御神体として山に大木に、一先ず居場所を定め、その地に住む民を見守っている
正に、日本は八百万の神々に守られた、幸せな神の国なのです。
昨年暮れ、大晦日から年明けの4日まで、京の街で、とことん神社に拘って過ごした。
その京の街には、由緒正しい神社が800社を越える。
それに加えて、信心の厚い京の人。
お店には必ず、神棚を見かける。年越し蕎麦と寄った蕎麦屋の箱庭にも、可愛い祠を見つけた。
ちょっとした街角や家々の隙間には、必ずと言っていい程に、可愛い祠があり、賽銭箱には賽銭が投げ込まれている。
こんに信仰厚い人々が住む京の街。
私の初詣での神社も、そうすんなりとは決められない。
“それならば”と、一気に格式を上げ、朝廷の三社詣に沿おうと思いつく。
伊勢神宮は別としても、京在の石清水八幡宮と賀茂神社を詣でる事を考えてみた。だが、石清水八幡宮は京都府八幡市、少し無理がある。
そこで、賀茂神社を中心にして、にわか三社参りをしてみることにした。
それにしても行ってみたい神社があれこれと数多く頭に浮かんでくる。
そこで、大晦日に始めて、正月三が日で三社詣でを計3回、9社を参ることで妥協した
先ず、ゆっくりと、まだ人手が出ない大晦日から、番外三社詣から始める。
元旦には、賀茂神社を筆頭に、京では外せない神社での三社詣をする。
そうして、2、3日両日は、一度も境内に入ったことのない三つ神社に散歩がてら、お詣することにした。
大晦日の編。平安神宮。岡崎神宮。八坂神社
元旦の編。伏見稲荷神社。賀茂神社。北野神社
特別編。晴明神社。安井金毘羅宮。八大神社。
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