一旅30。京での三社詣。元旦編。

月日は百代の過客にして行き交う年もまた旅人なり。

旅を住処する。
今年も旅先で新年を迎える。

年々、滅びゆく身にも、容赦なく巡りくる新しい年。
去り行く年にもしっかりと感謝し、残り少なくなった月日ながらも、増え続ける煩悩の、静まらんことを必死にお願いする。

いよいよ、本番の三社詣。

ホテルでの朝食は、おせち料理。この数年、正月を京で過ごしているが、白味噌のお雑煮に未だに慣れない。
口に残る甘味が気になり、一先ず、近くのスタバに立ち寄る。

平安遷都よりも古い711年創建の伏見稲荷
“お稲荷さん”と親しまれ、全国、稲荷神社の総本宮。外す訳にはいかない。

自在とは未だいかないが、京での私の足、京阪電車で向かう。
人で埋まった伏見稲荷駅構内を、やっとの思いで抜け出し、 遅々と進まない参道を避け駐車場裏から裏門をくぐる。

神殿が目視出来るところまで、やっとの思いで辿り着く。
“神は、遍在している”。
その列の横から、はるか先の神殿に向かい、初詣を終える。

せめてもと、願いごとが「通るように」「通った」のお礼をこめて潜る、朱色鮮やかな千本鳥居と、と考えたが、大混雑で近づくことすらできない。

早々に逃げ出し、全てを三社詣の本命、賀茂神社に委ねた。
賀茂神社詣は、辛抱強く確りである。

賀茂神社詣は、参道から始まる。
太古の時代から生い茂る高い樹木が覆う、糺の森を通り抜けたその先まで、続く参道。その参道は、鴨長明が詠んだ瀬見の川に沿いに続き、その先が神殿である。

人生後半期のさらに後期に至った我が身。
この期に及んでの災難は致命傷となる。
「雷を別けるほどに強い力を持つ神」別雷神を祀る賀茂別雷大神」神社に、詣でなければならない。

長い人の列に辛抱強く並び、漸くにたどり着いた神殿の真正面の神殿御で、性根入れた参拝を終える。

その足で、清らかな気の流れる「渉渓園」に向う。細殿(ほそどの)の前に盛られた一対の「立砂」(たてすな)にも詣でる。

神と人を結ぶ特別な聖域、強力なパワースポットで、この一年分の補給を無事終える。

次は楽しみの北野天満宮、北野の天神さんである。
北野天満宮こそが、全国1万2000社の天神社・天満宮の総本社。多くの受験生が参拝する、菅原道真公を奉っている学問の様。

だが、断然楽しいのが、神殿で辿り着くまでの参道。
色とりどりのB級グルメ、地元のグルメの屋台で溢れている。
子供連れ、若者、学生たちが屋台覗き楽しみながら、参賀の列を進めている。

そうした屋台のお陰で、あっと思うほどの速さで、神殿に辿り着いていた。

アメリカで生まれ育っている孫たちの日本語習得が上手く捗り、何不十分無い会話が楽しめるようとの切実なお参りだ。

帰りは、さっさと、1500本もの梅の木の「花の庭」梅苑を通って後にした。

元旦の京の街は、華やいでいる。
だが、旅人にとっては、食い処が休みで夜が寂しい。
今宵は、宿泊者共にホテル飯である。

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