少し異質な神社を三社詣。
その中でも、特に異質さが突出している晴明神社。
桔梗を元にした五芒星(桔梗紋)を神紋としている。
この五芒星、西洋の教会も魔除けの呪符としており、さらに、
一つ星が増えた六芒星は、さらに、その不思議さが増す。
伊勢神宮の灯籠に、その六芒星(ろくぼうせい)が彫られており、その六芒星は、イスラエルの国旗にあしらわれている。
余談ながら、菊の御紋とも呼ばれる菊花紋章、天皇および皇室を表すこの紋章が、エルサレムのヘロデ門にもある。
この五芒星の晴明神社を詣でる。
この神社、神様やお稲荷様でなく、呪術を操った実在の陰陽師、安倍晴明を祀っている。
鳥居を潜った先に、樹齢300年の御神木、楠が目に入る。
その先の本殿に掲げられている神紋が、その五芒星。
その五芒星が至る所にちりばめられており、異様さが漂う境内。気のせいであろうか、冷気に気に身が包まれ、身体がシャキッとする。評判通りのパワフルな神社。
縁切り神社、安井金毘羅宮。
祇園のほど近くにある、人との悩みを抱えた人が詣でる神社。
流刑された崇徳天皇が、讃岐の金刀比羅宮で一切の欲を断ち切って参籠(おこもり)されたことから、 断ち物・縁切りの祈願所 として信仰されている。
その参拝方法が変わっている。
縁切りごとの願いを記したお札を持って、この碑をくぐって向こう側に行き、そして、また向こう側から戻ってくる。
どうやら、碑をくぐって向こう側に行くことで悪い縁を切り、そして、こちら側に戻ってくるときに良い縁を結ぶ、と言うことのようである。
1時間を優に越す長い人の列に着き、”老い錆びた体を断ち、エネルギッシュな体の再生を”との無理難題のねがいを掲げ、難儀しながらも碑を往復。
並んでいた折、ちらっと見た絵馬には、“新学期には、某某先生が戻って来ない様に”との願いがしっかりと幼い字で書かれていた。
この生徒、この潜り行事をせず絵馬を選んだ。
終えていない宿題の心配程度の、それほどの切実さがなかったようである。
宮本武蔵参拝した八大神社。
日本晴れとは行かないが、気持ちの良い暖かい冬の日。
遠出を決め込み、修学院離宮の里をぶらぶら歩きし、満珠院を覗き、そうして詩仙堂へと足を伸ばした。
その詩仙堂の手前に見つけた神社の鳥居に、何と神社名を越す大きさで宮本武蔵ゆかりと記された看板が掲げられていた。
この八大神社、剣豪・宮本武蔵が、一乗寺下り松(さがりまつ)での吉岡一門数十人との決闘の折、決闘の前に奉拝した神社のようである。
神社には、決闘当時の「下り松」古木が、「剣聖・宮本武蔵が、吉岡一門と決闘し、当時の松の木の一部である」として展示されていた。
神社から、少し下がった右手にその松を見つけ、今年の最後の三社詣を終えた。
京で終え明けた年。
それも、大晦日から正月三が日をかけ、九の明神さんに詣でる。
その明神では、御手洗の水を掬った、その濡れた手が乾く間もなく柏手を打ち、心願を捧げる。
こうして迎えた年が、悪くなろう筈はない。大いに期待できる年を迎えた。
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