一景35。海辺の路地。

海辺の路地は、生活の匂いが潮風に洗い流され、海の幸せな香りが微かにする。

瀬戸内沖にぽっかり浮かぶ、周囲5キロほどの島に渡り歩いてみた。その島の道は、島を一周する立派な道を除くと、斜面の平地部分にかたまってある小さな集落の、あちこちと延びた路地だけ。

そのくねくねした細い道で見かけるのは、縁側の碍子影から顔を覗かす猫だけ。窓から灯りが見え、TVの音が微かに聞こえてはいるが、人の気配がしない。

その坂道を登りきった先からは、夕陽に染まる島々の先に、対岸の街の光が目に飛び込んできた。

たとえ、島でなくても海沿いの街は、迫る山を削りその斜面に沿い、家も寺も神社も建てられる。

そうした坂道も、やっと軽自動車が走れる道幅で、その坂道を挟んで左右に張り巡らせた小径、路地に家々が建てられている。

そうした中でも、古くから港町として栄えた、広島の尾道が印象深い。

国道から陸橋でJR線を越えた所に、ロープウェイとは別に、山を削り作り上げた住宅街に繋がる、驚くほどの急坂「とろとろ坂」の入り口がある。

その坂には、左右に枝分けされ脇道に、張り付くように家々がある。

こした坂道の多い道筋には、昔ながらの家々や由緒ある古寺がある。

その情趣に惚れ込み、志賀直哉を初め、7年も住み込んだ林英美子など多くの文学者を惹きつけている。

また、真鶴半島の真鶴町は、坂と路地の街である。

坂を登り切り、ふっと振り返ると、相模灘の見事な眺望が広がる。

かつて、真鶴に持っていた小さな居所は、半島の背を走るメイン道路から一本、相模湾につながる小道を降りって行った先端、岩に砕けた波を被っていた崖ぶちに建っていた。

真鶴は相模湾に突き出した半島、町域の半分が三方を海に囲まれ、全般に起伏が多く、平地は少ない。

家と家との間を縫うように配された“背戸道(せどみち)”と呼ばれる生活路があり、階段や坂道まじり、そうした小道には、季節の花々が植栽されている。

至る所の路地や小径が、斜面に配置され、人々の生活の中に大きな役割を果たしているまち、真鶴である。

相模湾に夕陽が沈むころを見計って、半島の背に建つイタリアン風レストラン“坂の途中”に出かけ、いつも決まった席で、冷えたシャルドネを手にしていた。

数年しか住むことがなかった、今も時々訪れたくなる、小径、路地歩きが懐かしい地である。

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