一幸98。自分の街にする。

引っ越しの多かった我が人生。
この街の、この居を、終生の住まいと決めた。

この街の空も風も樹々をも、着古した日常着のように心から馴染んだ居心地よい街にする。

幸いなことに、昔馴染みの商店街にも、酒処にも一駅、歩いても行ける。実生活には困らない街である。
だが、ご近所さんが総入替となると言う、厄介な切実な問題を抱えることとなった。

ある研究によると、
    SNSでの付き合いが多くなり、広い交際の網の目が
    多様化し、親しい近所付き合いが失われ、
    そのせいで、他人行儀化し、精神的共同体の近所付き
    合いが縮小している。
また、
    昔も今も8km以内の話の相手、友が、一人増える
    ごとに孤独に感じる日が、一年に2日減る。

近所付き合い、少し心がければ難なく可能と高を括っていたが、もう、3年となるが、一向に始まらない。

廊下のほんの4、5メートル先の左右には、お隣さんの玄関。
だが、2、3度顔を合せ挨拶した程度で、終わっている。

手っ取り早い、犬ともでの親交をと考えてはみるが、旅好きが災いして、犬を飼うことを難しくしている。

だが、
   幸福は美しい蝶のようなものだ。追えば追うほど逃げて
   いく。しかし、別のことに気を取れていると,
   そっと肩に止まっている。
        アメリカの作家ヘンリ-Dソロー
である。

南北両極の永久凍土も溶け出すこの時代、まぁ、いずれは、ご近所さんとの付き合いも始まるだろう、と気楽に構えることにした。

もう一つが、散歩道。
それも、季節に合わせて、あれこれなければ、日長の毎日が埋まらない。

幸なことに、この街には、大きな庭園を有したホテル、武蔵野の自然保護を目的とした公園、それに、見事な庭園を持つ美術館もが近い。
都心とは思えない、季節ごとに趣を変える、自然に恵まれた散歩道がある。

それに、幾つかの住宅街の横丁が、散歩道となっている。
どんな街にも、そこに住む人しか知らない、この地に住む人達の日常、生活が窺える裏路がある。

最近見つけて、散歩道となったその路には、この街の人たちを見守っている小さな鳥居がある。

それを通り過ぎると、しっかりした家々が立ち並び、それに混じって石塀を巡らした屋敷が続く。そうした先に、名門、女子大学の小中高学園のキャンパスが、しっかりした垣根から見え隠れする。

散歩は目的をもたない。そんな道に出会う風景が歩を進ます。

散歩道でそっと見上げる空も、そして、季節ごとに姿を変える樹々も、草花一本にも、今ではしっくりと馴染み始めている。

もう数年も過ぎれば、散歩で出会う人も犬にも顔見知りになり、ふっと気づくと,挨拶を交している。

そんな日、この街がすっかりと馴染んだ自分の街になっているに、違いないと確信している。

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