一言33。マスク社会。

2020年1月3日中国武漢市滞在中の日本人が発熱、帰国後の1月10日、第一号の日本人コロナ患者と認定。

それから3年半を経て、政府はコロナの5類移行を決定。
    “マスク着脱は、皆さんの自主判断で”

だが、依然、街行く人達の大半はマスクを着用している。
外国からの観光客に、日本、感染が未だ治まらずとの誤解を与えかねない。

「マスク」の日本語は仮面。

だが、鼻や口などを衛生目的で覆う実務的なものについては、仮面の範疇には含まれない。

従って、英語のマスクを借用している。
外来語の好きの日本人故に、マスクとしている故ではない。

この場合のマスクは、“ペスト患者を診る医師”という意味を持つ“ヴェネチアンマスク”。
このヴェネチアンマスク口元の嘴のように尖った部分には、感染を防ぐ目的でハーブなどの薬草が入れあり、その昔、ペストが流行った時代にペスト感染から身を守る為につけていたもの。

だが、現在、街で見かけるマスク姿の人たちは、マスクをつけているのではなく、仮面をつけ、顔を隠し正体を分からなくしている。

日本は、顔を覆う隠す道具に事欠かない。
嫁入りする女性の角隠し、能楽の能面、 狂言などのおかめ、田楽のひょっとこ、などいろいろとある。

だが、これらは、床入りし、舞台を終え、そのお役を終えれば外される。

だが、役割を終えた今も、顔半分をマスクで覆い続ける。
マスクを外して顔を晒して顔を見せるのが不安、というマスク依存症患者が増えているということなのだろうか。

メークしない顔を隠せる。こんなズボラな理由はひとまず置くとしても、考え方次第では、人の視線という緊張から解放され、安心感を得るためと憶測されかねない。

それとも、社会の同調圧力に負け、マスクを着ければ周囲の目が気にならず、群れに埋もれ他の人と同じでいたいのか。

多様性が叫ばれる現代社会。個人の責任と権利、個の確立が求められるはずではなかったのか。

全員が“仮面を外す日”が訪れるのは、いつの日であろうか。
日本の行末が心配になる、“仮面現象”である。

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