断然、決めたことがある。
今朝、出かけに、ハンガー掛けの下に乱雑に積まれた衣類を、何気なく崩してみた。何とそこには、ほんの2、3日前、そろそろ、夏のものと思って買ったジーンズと、同じものがあった。

手軽さからついつい買った、ユニクロの白と黒のジーンズである。その折り、買った長袖のTシャッも、よく見ると奥のハンガーに並んで掛かっている。
これはボケが出て、物忘れが酷くなってきただけでは、無さそうである。

現役を退いた者の気軽さで、日常の衣類に気張らなくなり、手軽に済ませていることから、ユニクロの罠、術策にまんまと落ち込んでいたようだ。
一衣一衣に、気合の入った選択をしていた現役時代には、先ず、あり得ない事象。

役割を持ったちゃんとした店で、店員の丁寧な応対と見た目も手触りも良い、しっかりした商品を買っていた。
ユニクロや無印が信じられない程の低価額で、それも程よい品質の白黒を基調色とした無機質な品揃いで、売り始めた。

これは衣料だけではない。
古本屋は神保町で、家電製品は秋葉原で、新刊書は紀伊國屋や丸善と決まっていた。
だが、今は、無印良品、100円ショップ、AMAZON、ビックカメラが、手軽さ、圧倒的な品揃い、低価額を掲げて市場を席巻し、昔ながらの店を苦境に追いやっている。


それに私もいい易々と乗せられて、この様である。
大きな嘆息が出る。つまらない世情にすっかり染まり、馴染んでしまっていた。
何だか、大切なものを無くしてしまっている様である。
この罠からの脱出をせねばならない。堕落からの脱出である。
先ずユニクロと無印の衣類に、我が衣棚からの退去命令を出した。

それらの陰にうずもれ隠れていた、引退時にそれなりのものを揃えた日常着の再登板を促したのである。
既に、10年を遥かに超える大昔のもの、いろいろ不都合があるが、品質には間違いない。
早速、街の仕立て直し屋を見付け出し、足を運び、年配の女性にあきれ顔をされながらも、仕立て直しを丁寧にお願いした。
その仕立て直しの値段は、優にユニクロの一桁超え、とはいかないまでも、相当な出費。
だが、裁断とスタイルが少し古いが、日常生活では十分過ぎるほどのものに仕上がった。

流石に、下着類は買い直しである。
懐かしい伊勢丹男子館で木綿のものを買う。これも、引退者にとっては、胸にザクっと刺さるほどの値札が掛かっている。
そうなると、夜の生活にも気合が入る。
下から上まで、嘗て、体が覚えている衣で身を包み、久しぶりに赤坂に出かけた。
当然、行く先は現役時代に日をおかず通っていた寿司屋のカウンター。

代替わりしていた若旦那相手に、昔話に花を咲かす。そんな久しぶりの喝の入った夜となっていた。
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