一旅33。謎を秘めた島、淡路島。

この島、淡路島ほど、興味深く話題が尽きない島はない。

    万事思い知る者は旅に勝るものなし、である。

この淡路島、600km²近く東京23区やシンガポール島と比べても遜色ない広大な島。それに、神戸と四国の徳島とは橋で繋がっている事もあり、訪れるに何の不便さもない。

早朝、遠く離れた東京に住む私をも叩き起こした1995年の阪神淡路大震災、この島を縦断する六甲山より淡路島に至る野島活断層が大きく崩れた大地震。

マグマを抱えた激しい島である。

車での旅が好きな私、四国に渡る折など、この地で宿を取ることが多い。新鮮な魚も魅力だが、実は、九州、大和、出雲を凌ぐ、神話の宝庫にすっかり魅せられているからである。

この淡路島、日本列島で最初に生まれた島と言う。

夫婦の神、伊弉諾尊イザナギと伊弉冉尊イザナミが、沼矛で下界をかき回し、落ちた塩の雫からオノコロ島生み出す。

その夫婦の神が、そのオノコロ島に降臨し契りを結び、淡路島を誕生させる。その後、次々に島を生み日本列島をつくる。

そのオノコロ島、諸説いろいろと言われる中の一つに、絵島がある。その島、長年の風波に洗われ、それらしい風貌をした高さ20メートル、周囲400メートルほどの小島。

地層学的には、約2千万年前の海底が隆起して出来た島である。日本に人類の遺跡が登場するのが、約3万8000年前。
してみれば、2千万年前から3万8000年前まで、日本列島は神々のみが住む、神の国ということになる。

その絵島から数分のところに、岩屋城跡の崖下の洞窟に、祀られた恵比須神社がある。イザナギ・イザナミの神の間に最初に生まれた蛭子命ヒルコノミコトが、体がうまくできあがっていなかったために葦舟にのせられて流した。その祀る神社である。

その神社の背後に、奥行き6m、高さ1.8m、幅2mの空洞の洞窟がある。これが、イザナギ尊のかくれられた天岩戸と伝えられている。

天岩戸、宮崎県高千穂町にある天岩戸神社をはじめにして、全国各地に少なくても15を超える天岩戸がある。この一説も一概に退けることが出来ない。

さて、本来なら伊弉諾神社となるのだが、敢えて、素朴さの残る自疑島神社オノコジマを参拝した。

イザナギが、国生み・神生みを終えて最後に休息をとり、余生を過ごした御陵が起源とされる神宮である。

その神社の裏庭から、この島の老人達がゲートボールを楽しむ穏やかな姿が目に入ってきた。
そんな穏やかな所にある神社、この島が大和朝廷と深い関係性を持つ神社である。

もう一つ、また、大和朝廷誕生に関連して重要な遺跡がある。

神代の時代を終えた時代、日本の国の古人達の痕跡を色強く示す、五斗長垣内遺跡と舟木遺跡。この遺跡には、日本列島最大規模の鉄器生産集落が発見されている。

倭国大乱と邪馬台国の時期に重なり、大和朝廷成立に至るまでの古代国家における淡路島の重要性が、この遺跡から窺われる。

さらに、淡路島をさらなる不思議な島にしているのが、淡路島ユダヤ人渡来伝説である。

その事実を裏付ける痕跡が数多くのがある。
その一つが、ホテル淡路夢泉景にある古代ユダヤ人の遺跡。

そのホテルの裏庭で、遺跡の石棺が発掘された。その石棺の蓋にユダヤの印が記されている。
さらに、ダビデの紋章が付いた指輪や鹿の絵の入った指輪も発見され、ユダヤ人渡来説を裏付ける。


元駐日イスラエル大使のエリ・コーヘン氏が、石棺の蓋に刻まれた謎の文字を見て、“驚きました。ヘブライ語の文字が記された古代日本の遺物を目にしたのは、初めてです。”と語っている。


また、淡路島には、油谷(ユダニ)、古茂江(コモエ)、小路谷(オロダニ)、由良(ユラ)、諭鶴羽(ユズルハ)、といったヘブライ語を想起させるような地名が多く存在している。


淡路島が、日本人とユダヤ人の祖先が同じとする日ユ同祖論の舞台なのだ。

いわゆる「失われたユダヤ10支族」が、葦船に乗って淡路島にたどり着き、新たに国を開いた。これが『古事記』にいう国生み。

さらに、大和朝廷にとって淡路島の重要性が見て取れるのが、伊弉諾神宮を中心として、夏至は諏訪大社から出雲大社、冬至は熊野大社から高千穂諏訪大社と配置されていることである。

さらに、南北には、但馬国一宮出石神社論鶴羽神社、那智大滝ー熊野那智大社が、東西には、飛鳥藤原京伊勢皇大神宮、対島国一宮海神社が配置されている。

太陽の運行図陽の道しるべ上に、見事に重要な神社が配置されている。

実に、話題に事欠かない島、淡路島である。
皆も、一度じっくりと淡路島を訪れが良い。

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