一景36。難民で溢れる。

今に生きることを心がける。

気づくと、私の目の先には、いつも、ご老体の姿がある。
子供は同じ世代の子供に目がいき、我ら老いたる者は、どうしても、同輩に目が行く。

60歳で定年を迎えた男性の平均余生は24年、84歳。女性となると、87歳。
だが、死者数のピークを打つのは、男性で88歳、女性は92歳と長寿である。

ほどほどの余生をと引退した人生、予想外に長い道のりが待つ。長く生きのであれば、健康であって欲しいもの。
だが、現実は、60歳の健康寿命は77〜79歳と厳しく、超高齢社会と特有に一人暮らしと、孤立死が待っている。

政府は予想を超える高齢化の進行で、頼みの年金の支給開始年齢を引き上げ、支給額をも引き下げる改革を急ピチで進める。

時代は大きく変わった。

ほどほどの老後をと職を退いた我ら、その老後は思いの外に長く、健康と金、それに一人暮らしの難題を抱えたものとなった。


ひと昔前は、老後と言えば決まり文句のように、「悠々自適」という言葉が冠されていた。
現実は、我ら高齢者、大きな変化の中で立ち竦み、右往左往である。

最近とみに、一人歩きの同輩者を多く見かけるようになった。
彼らは、何をするではなく、ただ、歩いている。

惚けたとか脳の障害などの病症の身でなく、健康体の老人たちが、街を徘徊している。

彼らは決して、24時間営業のカフェとかマクドナルドなどで、寝泊まりしているネットカフェ難民、帰宅困難の難民ではない。

ただ、一人で徘徊する。身なりもしっかり、それもお洒落な同輩たちである。

時には、映画館で見るでもなく座り続け、公園で茫然と座り続け、驚いたことに、ところ構わず眠り込んでいる人すら見かける。

そう言う私も難民、スタバ難民である。

これといった用事も約束もない身、日々を成り行きにまかすと、とんでもない事になる。
それなりの一日一日のリズムが大切と、コーヒー好きもあって、朝一先ずスタバに向かう。。


決まった時間に決まったスタバに行く。コーヒーを楽しむだけでなく、PCと数冊の本を抱えてスタバに通う。 

それも少し遅い朝に通うとなると、チラホラと、顔見知りができ始めている。
その顔見知りたちも当然、私と同じ引退した老人達が目に入る。

男性は概ね一人、女性は二人連れかグループ。
今では、会釈を交わす人が、2、3人出来ている。

それに、スタバのスタッフは、無論、笑顔で朝の挨拶を交わすと同時に、お気に入りの豆でコーヒーを用意し始める。

そこで、徘徊する我が同胞たちに提案である。

徘徊は我ら引退した者の特権だが、譬え街を徘徊しても、その後、決まっていく場所、コーヒー店、図書館、蕎麦屋、公園のベンチに行くが良い。

そうすれば、いつの日かには、場所が馴染みの場所になり、やがて、顔を見知りもでき、望めば、新しい友さえ出来るのである。

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