一幸103。自由からの逃走。

近代人は、自由を得る代わりに孤独になった。
    エーリッヒ・フロム

旅先のホテルで、天才少年、藤井翔太作の詰将棋が、色紙になって掲げられていた。
対局場となったホテルに、そのお礼として創ったものらしい。

律儀な、少年らしいお礼の仕方である。

久しぶりに、埃を被った将棋盤を取り出し、将棋好きの友とその詰手を競い合った。時間の経つのを忘れさせる、幸せな時となった。

このところ、仕事からも解放され得た潤沢な時間を、いささか持て余し気味である。

やろうと思えば毎日でも、ゴルフに出かけ、車に飛び乗り日本列島を走り、毎夕、一杯ひっかけにぶらりと出掛けられる。

皮肉なことに、そんな時間を求めて仕事を退いた筈なのだが、いつでも出来るとなると、心が動かされない。

“何をやっても良い”、という状況は、凡庸な人とっては、かなり難易度が高い状態のようだ。

人は自由すぎるのも困る。

持ち駒と手数が決められている詰将棋と同様に、いろいろと制約あると、あれこれと工夫し、ようやく楽しむことが出来る様である。

アダムとイブは“楽園からの自由”を得た。
だが、“その自由”を、使い楽しむ知恵は、持ち合わせていなかった。

その事態をエーリッヒ・フロムは、
 “近代人は自由を得る代わりに孤独になり、苦痛が始まった。”
と、宣っている。

まさに、我ら凡庸な “引退者”は、自由を得る代わりに孤独になる。
しかして、何とも皮肉なことなが、
    Escape from Freedom。自由からの脱走を計る。
またして、自縄自縛の毎日を作り始める。

“メモる”ほどでもない約束を、部屋の壁に貼られた真っ白なカレンダーに、敢えて書き込む。

先ず、毎週決まった曜日をゴルフ日と定め、大きく赤色で入れる。次に、京へ車を飛ばす予定を入れてみる。

それに、早々に、この夏のアメリカに住む息子たちを訪ねる日々に、横線でカレンダーを汚す。

後は、あいかわず、印のつかない日々が続く。

そこで、日常のリズムを定めてみた。
戦い、漸く自由を得た日々ながらも、あれこれと決まり事で身を縛る。


毎朝、PCと数冊の本を携えて、スタバに出かける。その後は、アスレチッククラブでランチとプールとサウナである。

これで、毎日、午後3時までは、予定でぎっしりと埋まる。

後は、何人かの友に夜の誘いをしてみる。
だが、故郷に、郊外にと散った友たち。めんどうがり、反応が弱い。
やはり、夜は、カンターの向こうの大将とのお喋りの一人酒となる。

何とも、情けないことながらも、これが凡庸な老いたるものが、たどる道筋とため息の毎日を過ごす。

追記 詰将棋の解は次回に掲載。

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