一言37。足下の花。

“太陽は神ではないが、太陽が昇るとき神なのだ”。
だが、沈む時の太陽も、やはり神でなければならない。

登山は、登りは頂をただひたすら拝み見ながらであるが、下山時になって初めて、足元に咲く可憐な草花に気づく。

人生も、若い盛りの時代に目を奪われがちだが、枯れて、瞼を閉じるまでの日々にこそ、醍醐味がある。

同胞たち。足下を見よ、である。
老いた今、見落としていた幸せに目を向けるとき。

今、日本では、65歳までに仕事を退く。その人たちの人口は、全人口の30%、3,600万人。

65歳と言え、まだまだ、若者に遜色ない気力も体力を残しており、それに、頭脳知、体験知が頂点になった歳。

問うてみるが良い。

65歳の7割、70歳の4割、75歳の2割はまだまだと答える。流石に、80歳を過ぎると、全員がこれからの日々は、ゆっくりと過ごしたいと答えるであろう。

そんな65歳で、ほどほどの貯えと年金を頼りに、これからの長い下り坂を、眼下に可憐な花を探して歩む事になる。

数年は、仲間を誘い出し、ゴルフ、旅とにと興じ、夜となれば連れ立って街に繰り出す。

だが、やがて、遊びにも疲れ家に籠りだし、寝転がり天井を見上げ、“あぁ、暇だなぁ”と、つぶやき始める。

それに鞭打つように、近隣に友の輪を持ち日常を確立している女房殿に、疎んじられ始め、家からも追い出される。

そうして、彼らは、街々をただただ徘徊し、時には、ベンチで眠りこける。

悲しい、寂しい老後の現実である。

若者に負けない体力、気力を持ち、知力に至っては、若者が舌を巻くほどの輝きを見せる人材を、65歳で社会から退かせ、年金支給で“良し”としている。

国は、そろそろ、人生100年時代にふさわしい社会の仕組みを、構築する時が来たのではないだろうか。

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