一旅38。戦っている村、産山村。

懐かしい山村に出会った。

その村、産山村には、広大な阿蘇カルデアラから大分空港へ向かう道すがら、出会った。この村には、看板も交通信号が無い。

       小さきことは、美しきこと。
      産山村は、かつて小さな村だった。
      産山村は、いまも小さな村である。

その村民たちは、この標語の下に、この小さな美しい村で、いつまでも幸せに暮らせる村づくりに挑戦していた。

全国744の自治体で、少子化や若者の都市部への流失で、約4割の市町村が消滅する、と言う。産山村はそうした厳しい現実の中での挑戦である。

この村は、都会で住む人たちを惹きつける魅力的村である。

その里山には、約200年の歴史を持つ古い神社、農神として里人の信心を集めている国造神社がある。
木漏れ日が漏れる静かな境内には、透き通った空気が流れ、小川の流音が響く。ついつい、長居してしまった神社である。

更に、村からそれほどには離れていない先には、名水百選にも選ばれた池山水源がある。その一帯は、樹齢200年を超える巨木や樹木に囲まれ、神秘的な雰囲気が漂い、豊富な水を湧き出し、その水音を響かしていた。

これらに増して、この産山村を魅惑的しているのが、村落そのものである。

丁寧に整備された田には青々と稲の苗が育ち、打ち捨て荒れた田畑など一畝とない。それに、田と田を結ぶ畔道は、雑草が綺麗に刈られ、手入れが行き届いている。

そうした畑の先には、懐かしい藁引きの古民家や農家が見え隠れしている。
この村でのブラ歩き、何故か去り難く、里山に夕陽が落ちるまで、ついつい長居していた。

だが、果たして、この産山村は若者の流失を止められるだろうか。

確かに、観光客を惹きつけている。だが、それだけでは、若者たちに生き甲斐ある働く場所、それに若者のエネルギーを燃やす遊びの場を提供し続ける事が、果たし出来るだろうか。

やがて、村民たちの高齢化も進み、若者の流失と容赦ない現実が待っているのではと、心配になっていた。

その夜、予定していた飛行便をキャンセルし、その産山村のほぼ中心地にある、古民家を改造した宿をとった。
気持ち良い湯を浴びた後、その宿の若い夫婦と話し込みながら、山菜料理と山女と野趣溢れる肴に、美味しい地酒を楽しむ一夜を過ごした。

その夜、床の中で、宿の前を流れる小川の流れの音を耳にしながら、ふっと、この村の明日の姿に思いを馳せていた。

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