京の街中に、ゴルフ場が二つもあるのをご存知だろうか。
それも、その場所も場所だがその設計者が凄い、驚きのゴルフ場である。
先ず、お寺の裏庭がゴルフ場、その寺の名を頂いた“西本願寺カントリークラブ”。
設計は、当然、西本願寺の元法主の大谷光明である。
大谷光明。英国留学中にゴルフの腕を磨き、日本アマチュアゴルフ選手権で優勝。昭和天皇が皇太子時にペアを組み、英国のウインザー公とプレーするなど、日本、ゴルフ創成期の偉大なプレーヤーである。
それにゴルフ場設計者としても有名で、川奈ホテルゴルフコース、大箱根CCなど数多くのゴルフ場を手がけている。
問題のゴルフ場、西本願寺カントリークラブの紹介は、ゴルフコラムニスト夏坂健の名著「読むゴルフ」に委ねる。
『広大な西本願寺の庭には、四季折々に花が咲き乱れる名庭「百華園」があって池の周囲は濃い緑に包まれている。その向うに平らな芝生の庭が広がり、大谷家と隣接する。実はこの芝が曲者で、近づいてみるときれいに刈り揃えてあって、なんと中央にはカップが切られていた。
物陰から本物のピンが登場し、カップに差し込まれると、それまでの美しい庭が一転してグリーンに変貌し、難易度の高いゴルフコースが誕生するという仕組みだ。
「西本願寺の隠しホール!」そう思って、ゾクッとした。
門前さんこと大谷光照師によると、9ホールでパー「27」。かつて杉原輝雄プロもここでプレーしたことがあるが、六甲より難しいとつぶやき、パープレーは出来なかったとか。……………
さて、もう一つ、上賀茂神社の裏森に隠れている “京都ゴルフ倶楽部”。赤星四郎が、手がけたゴルフ場である。
赤星四郎。大谷光明とほぼ同時代のプレーヤー。彼はアメリカで腕を磨き、アメリカでも難コース“パインハースト”での「プリンス・オブ・ウェールズカップ」の優勝者。更に、日本アマで2度の優勝者でもあり、箱根カントリー倶楽部、程ケ谷カントリー倶楽部と、数多くの名門コースを手掛けている。
さて、その赤星四郎が設計した、上賀茂神社裏の森の京都ゴルフ倶楽部。
このゴル場は、終戦後、米連合国軍の「軍人のレクリエーション用」として開発されたゴルフ場。その運営方法が、後の日本のゴルフ場に大きく影響を与えたゴルフ場でもある。
日本で初の株式会社のゴルフ場であり、法人会員制度も導入し、日本独特の女性キャディ・システムの廃止し、セルフプレー方式や4人乗り電動乗用カートの導入している。
さて、この京の街、桓武天皇が長岡から遷都した794年から、1869年に明治天皇での東京遷都までの約1100年間、日本の首都。
明治時代には、一早く、水力発電所を建て、その電気で「チンチン電車」を走らせ、人材の養成のために64もの小学校を開校させるなど、時代の先端を走った見事な都である。
その都の住人、京の人は、“いけず”と呼ばれ一縄ではいかない。
京都人の本音と建前は、違う。
京都人が、“お元気なお子さまでいらっしゃいますこと”と言う。その本音は、“何て、 悪餓鬼なんだろう”なのである。
京の人は、釈定規に物事を考えない風潮があるのは、ご存知の通りである。
何重にも下着を重ねた着物のその下には、シャレも遊び心も隠している。
そうして見れば、京都人にとっては、街中にゴルフ場があっても”何の不思議もあろうか”、なのである。
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