一幸06。テレビから離れる。

公衆は醜聞を愛するものである”(夏目漱石)
しかして、マスコミは騒がしくなる。

確かに、世間からこっそり隠れて生きる引退者の私の日常にも、テレビはことあるごとに、スキャンダル仕立ての騒々しい世間を流し込でくる。

”そんな醜聞は、どこ吹く風”と浮世離れしたい私が、可笑しなことに、俗世界どっぷりのTV番組を思わず観ている時がある。なんとも、TVとは不思議なものである。

あらゆる地域の1時間単位の天気予報がネットで分かる現在に、何故かTVでの天気予報番組が異常に多くなっている。

しかも、傘を持つことを薦め、布団を干す日に良いことを伝え、コートを羽織る気温であることを、表情豊かにしかも感情込めて語りかけている。

それに、政治も経済も三面記事も、はたまたグルメ番組に出てくる人も、ほぼ顔ぶれは同じ。お笑い芸人やタレント化した自称専門家が堂々と意見を語る。

消音で見ても、彼らの表情を視るだけで、よく分かるほどの感情移入である。

あぁ、私は間違って、いたようである。 

TVは、ネット社会で個に分断された社会で生きる人々に、一人でいることの寂しさや不安といった気持ちを、顔なじみの人・タレントが感情豊かに関わり、労わっているのだ。

江戸の井戸端会議での世間話であり、隠居さんのお話だったのである。

さらに、ますます騒がしくなるだろうTVを大いに感謝し、こちらも感情込めて頷き,“そうだ”と賛同の意を声出し見るのが良いのである。納得のいかない不思議さであるが、TVの騒がしさは正しいのである。

TVから可能な限り遠くに離れ,さらなに豊かな時間を手に入れる。時には、 TVを覗き、騒がしい世間との接点を持つ。

そうすれば寂しさは紛れ、穏やかな静かな豊かな時間を本当に手に入れることになるのだ。

引退者の少しずるい幸せである。

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