本当に、大昔の話。
友の結婚式で春先の良い季節に奈良に行ったことがある。
その折、少し足を伸ばして大和路の散策をと思いつき、奈良電車に乗った。その車窓から古い歴史を背負う駅名を夢中で辿ったことを、今、懐かしく思い出している。
この春には、山手線に新しい駅が誕生する。その駅名は“高輪ゲートウェイ”と名付けたという。ゲートウェイである。
そう言えば、万葉の中にも詠まれる筑波山の裾野を走る電車、筑波エクスプレスには、”みらい平”と名付けた駅名があったことを思い出した。
なんと薄ぺたい、くだらない名前だろうか。
駅名だけではない、広島では「上楽地」と言う新興住宅街が山崩れに襲われた。その地の古名は「蛇落地悪谷(じゃらくじあしだに)」。その名が伝えるように、水の神、竜が災害を納めた山を無理やり切り崩して、名前を変えて販売した住宅地らしい。
地名には揺るぎない根拠があったのだ。
何故に、こんな愚行を許したのだろうかと誰しも思う。地名も駅名も私企業のものではない。その地が背負った歴史も意味もある。大げさに言えば日本の全ての人たちの資産、文化なのだ。
そんな無謀なことが、一般募集の多数決とか、たまたま、一時的に経営を預かる一私企業の長に任すのであろうか。
地名も駅名は単にキャチフレーズではない。その地名からは夥しい情報が得られる。その地の謂れとか歴史を語り繋ぐもの。
何故に、そこに代々住む人たちの愛着に思いを馳せるとか、その地の歴史を大切にする、そんな気持ちを持って臨まないのだろうか。
ヨーロッパであれば、必ず議論が起き世論がやかましく頑固な抗議を持ち出しているに違いない。
この東京も、区画整理とか大規模な開発で、箪笥町、龍土町、霊南坂町、袋町、通寺町など、そこに住む人たちの思い出が滲み出る名前が消え去っている。
そこに住む人には子に伝えたいものが、その名に染み込んでいる。言葉だけでは伝えられない色合いも音色も、その地名が持っている。
地名は決して記号ではない。地名は必ず記憶がまつわる。言霊なのである。
今朝の散歩で、寄席坂の立て札が立つ坂を歩いた。
どうやら、この横丁には寄席小屋があったようである。一気に当時の賑わいが目に浮かび、笑顔になる。人っ子一人いないこの坂が、寄席太鼓の鳴り響く賑やかな楽しい坂になるのである。
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